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Monday, May 13, 2024

存在感増す「キッチンカー」、実は長い歴史…源流は「振り売り」か - 読売新聞オンライン

 [New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「キッチンカー」。

 調理設備があり、温かな料理の移動販売もできる車「キッチンカー」が存在感を増している。戦後、国民の多くが飢え、貧しかった時代に、日本人の健康と栄養を支えてくれたのは「キッチンカー」だったとご存じだろうか。そして今、コロナ禍を経てキッチンカーは日本中を走り回り、さらにサービスの幅を広げている。

 キッチンカーを「身近な場所までやって来て食べ物が購入できる」と定義すれば、その歴史は長い。日本の食文化に詳しい立命館大の鎌谷かおる教授は、「振り売り」が源流ではないかと指摘する。棒の両端にくくりつけた おけ に魚などを入れ、肩に担いで売り歩く商人で、当時の文献から少なくとも室町時代の1465年頃には存在していたと考えられている。

 江戸時代に入ると、それまでの振り売りに加え、桶を木箱に変えて屋根のある「屋台」が登場したが、担いで売り歩く点は同じ。大きく変わったのは、食材のままではなく、そば、すしや天ぷらといった完成された料理の状態で販売された点だ。

 江戸の街では火災が多発したため、屋内での火を使う調理は避けられる傾向があったという。単身者が多かったこともあり、手軽な食事として外食が求められ、屋台の発展が進んだ。

 屋台に車輪がつき、いわゆる「カー」になったのは、明治時代初期の1890年頃。当時最先端のビフテキ、カツレツなど西洋料理も提供された。

 調理設備のある車は、欧米では「フードトラック」と呼ばれる。キッチンカーという和製英語は第2次世界大戦後、食糧難の時代に日本各地を駆け巡った「栄養指導車」によって広まったらしい。事業を担った一般財団法人・日本食生活協会の1961年の資料には「栄養指導車はキッチンカーという愛称で親しまれている」と記載されている。

 バスを改造して調理設備を取り付け、各地で栄養バランスの優れた献立の調理法を実演してみせる。事業の開始は54年。テレビの本放送も始まったばかりで料理番組などない時期に「マカロニミートソース」「納豆チャーハン」など珍しい料理が試食もできるとあって、黒山の人だかりができた。同協会の田中久美子会長は「当時のキッチンカーは、食を楽しみつつコミュニティーを形成するための中心的存在だった。食を通してコミュニケーションを図るという役割は、当時も今も変わらない」と話す。

 一般のキッチンカーは、バブル期には高級料理の出張提供などでも活用され、和洋中やエスニックなど多様で簡易な昼食の需要に応えてオフィス街に浸透した。休日に公園で開かれるイベントなど、人が集まる場所にも出店されて花を添え、集客の中心になることも。そこに新型コロナウイルス感染拡大が大きな転換をもたらした。

 外出自粛で街から人が消え、飲食店は「3密」を避けて対応客数を減らし、休業も急増。店舗の維持が厳しくなった飲食業者は身軽なキッチンカーでの営業を模索し、住宅街にも進出した。キッチンカーを含む移動販売車に対して東京都の保健所が営業許可を与えた件数は、1989年度は約400件だったが2021年度は約5200件まで増えた。「開業資金は通常の飲食店の半分程度。起業や副業などコロナ禍の業態転換で一気に広がった」と、東京都中小企業診断士協会の山下 ただし ・相談役は解説する。

 温かな料理だけにとどまらない。ATM(現金自動預け払い機)を搭載した車が過疎地域を走り、買い物難民の家へ生鮮食品も届ける。山下氏は「これからも社会の変化に合わせ、多様なサービスがキッチンカーで提供されるだろう」と語る。

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